2014年12月22日

中国残留孤児の父

山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」とユー映画が公開されたヨーダ。
(略)山本慈昭は(略)昭和二十年五月一日、敗戦間近に(略)満州へ渡る。八月九日に、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が一方的に攻めてくる。(略)一行はロシア兵に捕まり勃利の街の収容所に入れられ(略)一年半後に日本に帰国する事が出来た。(略)

CT90saltlake世の中が民主主義となり、大きく変わりつつある頃、慈昭は(略)平岡ダム建設のため強制連行された中国人の事を知り、 遺骨を本国へ返す運動に力を注ぐ。

中国を訪れてから一年あまりがすぎた頃、慈昭のもとに一通の手紙が届く。

手紙は日本人孤児からの物で(略)孤児達の日本帰国救済運動に大きく踏み込んでいく。
慈昭は遂には国を動かし、次々と孤児が発見され、訪中の末その帰国や里帰りが実現していった。
僕の郷里から約五十キロの場所に満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所の跡地があるので、満蒙開拓団にはチョイと個人的に思い入れがあるのですよ。



hasihasi at 12:45│Comments(0)TrackBack(0)clip!ホカ | cn

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